喫茶サンシャインとは
変わらない味、変わらない時間。
人生の思い出の純喫茶として──
喫茶サンシャインは1973年に創業した、昔ながらの純喫茶です。
ビジネス街の中で、ほっとひと息つける場所として愛され続けてきました。
昔ながらのレトロな雰囲気の中で、香り高いコーヒーをお楽しみいただけます。
お客様の思い出とともに、これからも変わらないぬくもりを——。
喫茶サンシャインは、今日もいつもの場所でお待ちしています。
サンシャインを照らすのは
思い出、そして人と人のつながり
サンシャインで流れるゆったりとした時間は、
コーヒーの香りやレトロな空間だけ
でつくられるものではありません。
一杯に向き合う手仕事、ふとこぼれる笑顔、
お客様とのやわらかな会話。
ここで生まれる小さな日常の積み重ねこそが、サンシャインの灯りをともしています。
サンシャインを支える ふたりのマスター
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初代マスター 橋崎 光男
1973年に喫茶サンシャインを創業。
明るく気さくな人柄で、長年たくさんのお客様に愛されてきた初代マスター。
毎日変わらず店に立ち、お客様への「誠意を持って地道に繋げる 商いこそ長く評価されるもの」という想いがサンシャインの原点です。
店を始めた頃からずっと変わらない"まっすぐな手仕事"で店を支えてきました。
穏やかな笑顔で、サンシャインの空気をやさしく包み込んでいます。 -
二代目マスター 橋崎 卓
「サンシャインがなくなるのは寂しい」そんな素直な気持ちから店を継ぐことを決意し、受け継いだ"変わらない良さ"を何より大切にしています。
お客様の思い出とともに歩むように、新しい店舗でも昔の味と空気を守っています。
これからも喫茶サンシャインがお客様の思い出の喫茶店であるように、ひとつひとつの仕事を丁寧に積み重ねていきます。
51年続いた店舗から移転、2025年5月に再オープン
思い出を、
そのまま新しい場所へ。
新しい店舗には、これまでのサンシャインの"記憶"がそっと息づいています。
前の店舗の天井に貼られていた銅板を壁面に埋め込み、
長年お客様を迎えてきたシャンデリアは店内入り口で再び灯りをともします。
手になじんだドアノブ、大きな木のテーブルやソファも、
そのままの姿で新しい空間に受け継がれました。
そしてメニューも、昔から変わらない味を大切にしています。
自慢のコーヒーは自家焙煎。
薄焼き卵で包んだオムライスや、ホットケーキなど父の代から受け継ぐ喫茶サンシャインのどこか懐かしく、心をやわらげる味わいをお届けします。
1973年 創業
喫茶サンシャインの
創業から現在まで
1973年創業という長い歴史を持つ喫茶サンシャインは、最初は「豆腐屋」でした。
そして「喫茶サンシャイン」が誕生した背景にある家族、妻への愛情秘話まで、
親子二人で語る数々の想いやメッセージをご紹介いたします。
喫茶サンシャインの創業から現在までに至る知られざるエピソードをご紹介します。
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異色の転身、創業店主の「豆腐屋」から
「喫茶店」になったワケ創業店主「橋崎 光男(はしざきみつお)」は、昭和18年石川県生まれ。高校卒業後、現在の妻となる「渓子(けいこ)」の姉夫婦が大阪で豆腐屋の経営をしていたことから見習いとして大阪へ。
今では跡形もなくなくなってしまいましたが喫茶学校という今で言う喫茶店の職業訓練校へ通いました。
その後、見習いを終え自らも豆腐屋の経営に乗り出す。当時は、どんな商売でも「懸命に働けば成果が出る時代」。
「新日鉄 堺工場」がお店の近くにあったため、お弁当の注文が入った際には、一度に1800食から2000食もの大量の注文をいただくこともありました。その頃は睡眠時間もなく懸命に働きました。商売としては繁盛していた豆腐店でしたが、豆腐屋は朝が早く手伝ってくれている妻も子育てと両立しながらでは大変だということで、家族の日常も守りながら「長く続けられる商売」はないか検討の結果、当時の喫茶ブームもあり「喫茶サンシャイン」を創業しました。
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家族、妻への愛情が
「喫茶サンシャイン」を誕生させた今では当たり前になりつつある自家焙煎を取り入れたことは、当時は珍しかったと思います。
また、創業当時の梅田のこの近辺は金融街としてたくさんのビジネスマンが行き来する最先端の大阪の産業地域でした。
創業当時懇意にしてくれていた日興証券の社員さんたちが休憩がてらコーヒーを飲みに来てくれたり、会議があるということでミックスジュースを80杯配達するなんてこともありました。当時は、今のようにキッチリしていませんでしたから職場から抜け出してお茶を飲んで休憩なんて使い方も多かったのだと思います。
そういえば、日興証券の社員専用の散髪屋がありました。仕事を抜け出して散髪に行く。
忙しい時代でしたが社会全体がおおらかでした。 -
商業地梅田に長く続く秘訣は
地域との密接な関係商売のきっかけであった豆腐店では「新日鉄 堺工場」があり、喫茶サンシャインでは「日興証券」があり、「働く」ことと「食事・休憩」が地域で密接に繋がっていたような店主 橋崎 光男は、今でも「誠意を持って地道に繋げる商いこそ長く評価されるもの」と今でもその想いは変わらない。
身近に働く人の姿や変化を見る中で奇をてらわず、今でも日本社会に長く続く会社の一端を知る店主は創業50年を迎えても何も変えずに「誠心誠意、地道に商売を」を次の世代へ受け継ぎます。
「変わってなくてよかった」——
その言葉を聞くたび、私たちはまた少し、
背筋が伸びます。
これからも喫茶サンシャインは、
お客様がほっとできる
"いつもの場所"で
あり続けたいと思っています。